2012年12月24日月曜日

イベントに参加します。

イベントに参加します。
私は28日(金)と29(土)に参加します。

演出・振付 小嶋一郎
出演 黒田真史、岸本昌也
演劇とダンスの中間のような10分の短編です。

以下、イベントの詳細です。


2012年12月27日(木)〜29日(土)
年の瀬小景ス(としのせしょうけいす)
Small landscapes at the end of the year

年の瀬のRAFTに小さな景色が集まります。各回8組のパフォーマーが約10分間のパフォーマンスをします。素晴らしく濃い感じのメンバーが集まってくれました! 忘年会のノリで気軽に楽しんでいただければと思っております。ご来場お待ちしております!

■12月27日(木)19時30分開演
鬼来神楽保存会東京支部
劇団リケチカ
ドドド・モリ
とんちピクルス
花上直人
南弓子
向雲太郎
山下彩子


■12月28日(金)19時30分開演
岡田智代
川村美紀子
CRUSH THE TYMKS
小嶋一郎(250km圏内)
すこやかクラブ
ドドド・モリ
柳本小百合
吉福敦子

■12月29日(土)15時00分開演
川村美紀子
CRUSH THE TYMKS
劇団リケチカ
小嶋一郎(250km圏内)
佐藤達(劇団桃唄309)
向雲太郎
山下彩子
吉福敦子


●受付・開場は開演の30分前です。
●料金(各回)予約¥1,800/当日¥2,000
●予約はこちらをクリック
     
●会場 RAFT(中野区中野1-4-4 1F)
    
       
●企画 NPO法人らふと

2012年10月4日木曜日

ダンサーの出演機会

「おどりのば」2日目、何組かの上演を観て、
そして、控え室の体育館でのストレッチや稽古の様子を眺めていて、
思ったのは、
みなさん「動ける体」を持っているなあということ。
高い身体能力とダンスの技術を持っているなあ、と。
東京に、いいダンサーはいる。

―ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いいダンサーはいる、ということは、
必要なのは、出演機会なのではないか?

作品発表の機会ではなくて。

日本には、「いいダンサー」の数に比べて、「いい振付家」や「いいダンスカンパニー」の数がすくないのではないか?
需要と供給の問題なのだが。

いいダンサーがいたとして、その人が出演する機会を提供する「いい振付家」や「いいダンスカンパニー」と出会えなかったらどうするか?

自分の出演機会をつくるために、自分で振りつけて自分で踊るのではないか?
違うか?

劇場の企画で、作品発表の機会を提供する企画は散見するが、
ダンサーの出演機会を提供する企画はそれほど見ない。
なぜだ?


全く根拠なく語っているので、全然実際は違うのかもしれないが。

ダンサーの出演機会を提供する企画とは、何かというと、
出演オーディションということではなくて、なにか他のシステムができればと思う。

2012年10月3日水曜日

おどりのば2日目の話

記録として書く。

本番の10日くらい前に、会場を視察にいった。
まだフェスティバルが始まる前であり、展示の入れ替えの時期だったので、
人はまばらだったが、上演する場の「感じ」はその視察で大体つかめた。
その日は本番のイメージトレーニングをした。

前日。つまり「おどりのば」の初日。
私は体調が悪いこともあり、観劇には行かなかった。
私が審査の雰囲気を知ったところで、私が舞台に立つわけではないので、
あまり意味がないことは分かっていたので。

その代わり、出演者の黒田さんが「おどりのば」を観に行った。
で、夕方に黒田さんともう一人の出演者・宮山さんは、
私のおすすめしたデラシネラの屋外無料公演を観に行った。
劇場用照明がない中で、無料でやる、というのが「おどりのば」と条件が共通している気がしたので、出演者2人に観に行ってもらった。
参考になるだろうからと。

当日。
私は遅刻して、会場に到着したら、
ちょうど自分たちの音響チェック・場当たりの時間だった。

上演前のアナウンスを決め、
音はPCのスピーカーから出すつもりだったが(前回のアゴラ劇場の公演の時はそうしたので)、
聞こえないと忠告されたのでやめて、
機材につなぐことになった。

音源が映像なのだが、確認して、47秒でカットオフしてもらうことにした。
入りのタイミングは、アナウンスのすぐあと。
音量を客席で確認して決めた。
オペレーションを3331の方にして頂いた。
(ありがとうございます。タイミングばっちりでした。)

私が音響チェックをしている間、出演者は舞台面で場当たりをしていた。
私は音響チェックが終わったあとで、少しそれを客席から見ていた。
30秒くらい見ていたら、ああいけるなと思えた。
空間が明るくて、2人が立つと適度な余白のある体積(面積×高さ)なので、
作品をよく見てもらえる環境にあることを私は確信した。

そこで、あとは作品後半の動線だけ確認して、
私たちが舞台を使える時間は終わった。(計10分使った)。

その後、荷物を置きに控え室となる2Fの体育館に行った。
出演の2人がストレッチがしたいというので、
私は荷物を置き、2人を残し、上演場所に戻った。

他の団体が音響チェック・場当たりをしている間、それを見ていた。
正確には上演環境を見ていた。
そして、私と上演環境が馴染むのを待っていた。
(これはとても必要な時間です。)

体育館に戻り、稽古をすることにした。
今思うと、私たちの左側に出演順3番の濱田さんがいて、
向かい側に出演順1番目のアニさんのチームがいた。

稽古はスパルタになってしまった。
黒田さんが、昨日のおどりのばを見てかデラシネラを見てか分からないが、
随分やる気を出していてくれて、
そして稽古の動画を見て随分考えてきてくれていたので、
私もついつい熱の入った感じになってしまった。
そして、宮山さんの衣装は汗でグレーが黒になっていた。

作品15分のうち、最後まで稽古できたので、
私たちは校庭に出て、お昼ご飯を食べることにした。
本当は校庭の芝生の上で稽古がしたかったが、
時間がないので、お昼を階段の日陰のところで3人で座って食べた。

13時が近づいたので私は上演を見るために会場に戻った。
2人は体育館に戻った。
出番の10分前になったら、電話の着信で知らせることにしていた。
他の上演を見ている時に、客席の後ろのカフェの雑音が気になったので、
上演中舞台上でその雑音をよく聞くようにメールで指示を出した。

私たちの出番は4番目で、
3番目の濱田さんの審査コメントの時間と舞台の片付けの時間中に、
私はPCを音響ブースに持っていき、
出演者が待機しているかを出はけ口まで確認し、
ビデオカメラのセッティングをして、
私たちの出番を待った。

2012年10月2日火曜日

スカラシップ受賞作品 


おかげさまでスカラシップを受賞しました。
ありがとうございます。


『No Pushing』女女版(15分)

演出・振付 小嶋一郎  出演 黒田真史、宮山知衣

2012.9.30. @アーツ千代田3331 おどりのば 

審査員 伊藤キム氏(振付家、ダンサー)、小沢康夫氏(日本パフォーマンス/アート研究所、プロデューサー)

選評はこちらのサイトから読めます。http://fes.3331.jp/2012/prize/index2.html



2012年9月21日金曜日

上演回数の必要性

作品が好評だったのは良いのですが、
でもまあ、見れていない人は、この世に60億人は存在するわけです。

観てもらいたいな。

と思うので、とりあえず、区切りがいいので、

上演回数100回を目指したいです。

アゴラ劇場で3ステージしたので、あと97ステですね。


さあー、素振りだ!素振り!

公演終了しました。

ご来場ありがとうございました。

おかげさまで、予想外に、作品は好評のようです。


しかし、もっと、強烈な一撃を作らないといけないんです。

寝たきりだったおばあちゃんが立ち上がるくらいの奇跡が起きる作品を。

力のある作品を。


そのために、もっと、命を削らなきゃいけない。

命の削り方が甘い。


さあー、今日も素振りしよ素振り。

2012年9月10日月曜日

『No Pushing』 男女版 45分


団体名 小嶋一郎+黒田真史+山田宗一郎

タイトル 『No Pushing

SNAC presents スモール・ステップ最終公演、サマーフェスティバル〈汎-PAN-2012〉参加作品


演出・振付 小嶋一郎

共同創作・出演 黒田真史 山田宗一郎



日程

201298日(土)15:00開演 19:30開演 

        9日(日)15:00開演



受付開始は開演の30分前

開場は開演の20分前



9日(日)10:0012:00 ワークショップを開催します



会場 こまばアゴラ劇場   153-0041東京都目黒区駒場1-11-13   tel 03-3467-2743

京王井の頭線「駒場東大前駅」より徒歩3



googleマップはこちらをクリック



チケット

一般 前売・当日共 2000

学生 前売・当日共 1500円(要学生証)

日時指定・全席自由

チケット予約フォームはこちらをクリック


スタッフ

舞台監督 小嶋一郎

照明 武田幹也

宣伝美術 岸本昌也

制作 黒田真史

当日運営 砂川史織

アドバイザー:矢内原美邦、桜井圭介(SNAC
企画:奥野将徳(SNAC
制作協力:河村美帆香、土屋光(SNAC

主催 小嶋一郎+黒田真史+山田宗一郎、SNAC
提携 (有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
   サマーフェスティバル〈汎-PAN-2012

フェスティバルディレクター:矢内原美邦

協力 長谷川事務所




プロフィール

日本国憲法と自殺対策という「社会問題」を「自分たちの問題」として捉え直すための演劇作品をフェスティバル/トーキョー2010公募プログラムで発表した小嶋一郎・黒田真史が、山田宗一郎を迎え、震災以降も東京に住み続けることの現実を描いた『250km圏内』以来1年ぶりの新作を発表します。三人共に座・高円寺劇場創造アカデミー修了。



スモール・ステップとは

「無人島プロダクション」と「吾妻橋ダンスクロッシング」が共同でプロデュースする清澄白河のオルタナティブスペース「SNAC」 が主催するアーティスト支援プログラム。SNAC の桜井圭介、振付家 / 演出家の矢内原美邦がアドバイザーとして創作をサポート。2012 年 5 月の SNAC での7団体による「中間発表会」を経て、2 団体が選抜されて今回「最終公演」を迎える。

問い合わせ先 nopushing2012@gmail.com


 








2012年8月17日金曜日

08.17 演出の意気込み3

先日観に行った知り合いの芝居のパンフレットにこう書いてあった。

私なりに要約すると。


私にとってせつじつなことと、

あなたにとってせつじつなことは違う。

ということを前提として。

社会(あなたとあなたとあなたとあなたと・・・・・・私も含め)にとってせつじつなこと

私にとってせつじつなことの接点を作品にするよ。



要約、以上。


私も賛同する。

2012年8月12日日曜日

08 12 演出の意気込み2

いままで、

いかに立つか

いかに発話するか

とういう2つにこだわって取り組んできたのだけれど。


それで、それぞれ、その時点での解答を作品(本番)で

舞台上で提出してきたけれど。


今回の作品では、

踊ること

歌うこと

という2つの要素を加えることで、


いままでの

いかに立つか
いかに発話するか

で出してきた解答を、

乗り越えようとしている。


歌うことは

一見「いか発話するか」の延長上(発話の問題)だと思われるが、

それもたしかにあるが、

同時に

歌っているときの体

という、「いかに立つか」の延長上としても捉えることができる。

そして私はそちらに可能性をより見出している。






2012年8月10日金曜日

08.10 演出の意気込み1

汗をかきたい。

汗をかく必要がある。

汗をかかないダンスなんて、ダンスではない。

舞台上の汗の量と作品の面白さは比例する。

そう考えて、体を追い込みたい。体を。

2012年8月6日月曜日

動画と写真











『No Pushing』


日程

201298日(土)15:00開演 19:30開演 

9日(日)15:00開演



受付開始は開演の30分前

開場は開演の20分前



9日(日)10:0012:00 ワークショップを開催します。詳細はWEB参照。



会場 こまばアゴラ劇場   153-0041東京都目黒区駒場1-11-13   tel 03-3467-2743

京王井の頭線「駒場東大前駅」より徒歩3








チケット

一般 前売・当日共 2000

学生 前売・当日共 1500円(要学生証)

日時指定・全席自由

2012年8月1日水曜日

公演が決定!

公演することに決まりましたよ。

東京で、9月上旬に、小劇場でやります!

作品は、「No Pushing」を上演します。

15分バージョンはyou tubeにアップされていますが、
フルスケール版の上演になります。


ここ3年くらいで構想を練ってきた数々のコンセプトやアイディアが、
ようやく今回の上演で開花するのではないかと思い、
かなり私は興奮している。

ここ3年間は、説明する際の言葉がその都度変わっていたが、
結構同じことをグルグル考えていたように思う。

2012年7月29日日曜日

生き方のスタンス

来た球は全て打ちたい。

人に「何か」を振られるのは、滅多にないことだから。

できると思われているから振るのだろうから、それには全力で応えたい。

基本は、「いつでも、どこでも、(なんでも、)できます!」というスタンスで生きていたい。

生き方の問題の話ね。

2012年7月4日水曜日

2012年5月 『No pushing』 (動画あり)



『No pushing』

演出 小嶋一郎
出演 黒田真史 山田宗一郎

2012年5月27日(日)15:00~ @SNAC

(動画と写真は都内某公園です。)






2011年10月 『250km圏内』

団体名  小嶋一郎+黒田真史+弓井茉那
作品タイトル  『250km圏内』
「いかだ辺境劇場」参加作品

演出:小嶋一郎
共同創作・出演:黒田真史、弓井茉那

使用テキスト(上演順) 「不動産を相続する姉妹」 作 田辺剛
「地震以降に考えたこと」 作 黒田真史
「2011年8月上旬の記録」 作 弓井茉那


日時:
2011年10月14日(金)20:00
15日(土)14:00 ・ 20:00
16日(日)14:00
(開場は開演の30分前)

料金:予約・2300円 当日・2500円 
学生・1500円(要学生証) しょうがいしゃ・1000円(要しょうがいしゃ手帳)

(日時指定・自由席) 


会場:RAFT らふと

   ◎JR線・大江戸線 「東中野駅」西口から徒歩13分
   ◎丸の内線・大江戸線 「中野坂上駅」A2出口から徒歩10分




■演劇作品『250km圏内』について
今まで経験したことのない出来事に遭遇した時に、どう対処したら良いのか分からなくなることがある。
それどころかその出来事をどう認識すればいいのかさえ分からなくなる場合もある。
そうしたときに、出来事へ対処できるようになるまでの時間・状態とは一体なんなのだろうか。
未だ名付けられていない時間・状態がそこにはある気がする。
そのような時間・状態のことを「圏内」と名付けたい。

今回の作品は、その「圏内」に遭遇してしまった人物たちが、家族や仕事や土地について議論するなかで「ここに住む理由」を見つめ直す姿を描いたお芝居(「不動産を相続する姉妹」作・田辺剛)と、出演者(黒田・弓井)がそれぞれ「圏内」に遭遇した際のエピソードを書き、それを元に創作したパフォーマンスで構成された演劇作品となります。


■団体プロフィール
いかに舞台に立つか、いかに発話するかを軸に、コミュニケーションの理想形を描く舞台作家の小嶋一郎。身体を通した表現にこだわり、余計なものを削ぎおとした人間の美しさを追及する女優の黒田真史。『日本国憲法』で京都芸術センター舞台芸術賞2009を受賞した2人が、自らの演技に明確な論理性を持ち、シャープな表現を導きだす女優の弓井茉那を迎え、フェスティバル/トーキョー公募プログラム『自殺対策基本法』以来1年ぶりの新作を発表します。

■予定上演時間
70分


企画・主催 NPO法人 らふと

2010年11月 『日本国憲法』『自殺対策基本法』

大阪での活動後、2009年に東京に移り、パフォーマンス・アートの創作を志す「舞台作家」として活動を開始した処女作『日本国憲法』が京都芸術センター舞台芸術賞を受賞、一躍注目を浴びる演出家・小嶋一郎。今回は、憲法の原文そのままをテキストとして使用する『日本国憲法』と新作『自殺対策基本法』を上演。舞台作品を通して、憲法と自殺対策を観客自身が当事者として体験する試み。


撮影・神崎千尋

『日本国憲法』『自殺対策基本法』

演出:小嶋一郎
出演者:黒田真史、山本清文、山本称子、佐々木琢、島田健司
制作:前田佳子
共催:フェスティバル/トーキョー(東京公演)。
協力:座・高円寺/NPO法人劇場創造ネットワーク
主催:小嶋一郎
問い合わせ:sky_fish06@yahoo.co.jp




■東京公演  F/T公募プログラム参加
日程:2010年11月16日(火)19:00 『日本国憲法』
17日(水)19:00 『自殺対策基本法』
18日(木)19:00 『日本国憲法』
19日(金)19:00 『自殺対策基本法』
20日(土)13:00 『日本国憲法』

会場:自由学園 明日館 講堂
〒171-0021 東京都豊島区西池袋2-31-3
TEL. 03-5432-1526
JR他「池袋駅」メトロポリタン口より徒歩5分。JR「目白駅」徒歩7分。

料金:1000円(スタンディング形式)



■『日本国憲法』作品内容
上演会場では、客席を設置しない。演技スペースと観劇エリアをあえて区分しない。観客は、好きなところに立って鑑賞する。上演中の観客の移動は自由。その鑑賞スタイルは、演劇よりも美術館でのそれに近い。
出演者は、上演会場の内外を移動しながら日本国憲法の条文を使って会話をする。また、出演者は憲法を原文のまま発話する。その際、出演者は憲法を単なる音として発話し、コミュニケーションをはかる。このとき、発話者と発話される言葉(憲法)との間には「距離」があるが、それはそのまま現代の人々と憲法という存在の間にある「距離」を象徴することになる。
本作は2009年9月に初演され、京都芸術センター舞台芸術賞2009大賞を受賞している。

■「日本国憲法」を扱った演劇作品を上演するということ
「演劇」で「日本国憲法」を上演する、というと、一般的には憲法の内容または憲法をとりまく現状に対しての批判など、憲法や憲法が存在する社会への思想・意見を含んだ作品が想像される。
だが、本作は違っている。作品の中で、俳優たちは、生まれ、出会い、別れ、という人間の原始的な営みの中で、憲法の条文を発話し、相手との関係を築いていく。俳優たちは相手とコミュニケーションをとるために憲法の条文を発するが、それは憲法の意味内容の説明や伝達ではなく、あくまで相手とコミュニケーションをとるための手段としての発話である。
観客は、劇という虚構に没頭するのではなく、現実(外の風景、音、出来事)が意識できる環境のなかで、それぞれにパフォーマンスと出会うことになる。時に観客は、パフォーマンスの一部にもなる。そして、自分の周囲で行われるパフォーマンスと、人の体を通して様々な形をもって発せられる憲法の条文が(それは時に歌にもなる)、これまでに出会ったことのない「憲法」を感じさせてくれる。

憲法をこのように扱って創作することにより、ある思想や考え方を提起するための上演ではなく、あくまで観客自らが主体となり、様々な可能性が開かれたままに憲法と出会うこと。または、出会い直すこと。つまり、今回の上演が、「観客」と「憲法」の「出会いの場」となることが本作のテーマなのである。そして、演劇という装置が、他では体験できない「観客」と「憲法」の「出会いの場」としての機能を果たしてくれる。
そして、この「出会い」の可能性は憲法についてまったく無知な人にも、知っているが関心がない人にも、そして憲法についてすでに何らかの思想を持っている人にも、開かれているといえる。そして、この「憲法」との未知なる出会いが、現在を生きる我々に何を投げかけるのか。その可能性を共に探りたい。



■『自殺対策基本法』上演意図
政府が国会に提出する年次報告書である「平成22年版自殺対策白書」によると、日本は平成9年から10年にかけて自殺者数が急増し、以後12年連続で年間自殺者数が3万人を超えています。平成21年の自殺者数は、総数3 万2,845人、男性2 万3,472人、女性9,373人です。また平成21年の20代・30代の死因第一位は自殺です。
自殺は、個人的な問題としてのみとらえるべきものではなく、その背景に様々な社会的要因があることを踏まえ、総合的な対策を早急に確立すべき時期にあります。政府においては、2006年に自殺対策基本法を施行し、自殺の防止及び自殺者の親族等への支援の充実等を図るなど、自殺対策の総合的な推進を図っています。
自殺対策は、様々なレベル(国、都道府県、市町村、民間企業、NPO法人、家庭・個人)でなされるべきですが、「家庭・個人レベル」での自殺対策が日本ではまだ不十分なのではないか。
「家庭・個人レベル」でどんな自殺対策ができるのか、私たちに何ができるのか、を上演を通して共に考えていきたいと思います。よろしくお願いします。

2010年10月 『日本国憲法』『自殺対策基本法』京都公演

『日本国憲法』『自殺対策基本法』
@京都





               



   


               






2009年9月 『日本国憲法』

『日本国憲法』は2009年9月に京都芸術センター「舞台芸術賞2009」参加作品として初演され、同賞大賞を受賞しました。ありがとうございました。





以下、チラシでの文章。


「日本国憲法」を(脚本化せずにテキストとして)用い、舞台芸術を創作します。
政治的でも教育的でもない観点から「日本国憲法」を取り扱うつもりです。
「大人」よりも、「こども(これから大人になる人たち。小学生や中学生)」に向けて、創作します。



私は作品を通して政治的メッセージを発信したいと思ってはいない。
自国の憲法がどうあるべきだとか主張したいわけではない。
右翼でも左翼でもない。

ただ、無知を自認している。

この国での憲法改正議論は、選挙活動のパフォーマンスの域をでず、世論の盛り上がりもない。
それどころか、自国の憲法をまともに読んだことすらない人は多い。(私もだが。)

そもそも何が書かれているかを知らない。
だが憲法は、この国のルールとして確かにある。

だから、「とりあえず、知ろう。」
これがこの作品の基本スタンスとなる。

知らないという選択は確かにありうる。
だが、知りたいと思ったときに、そこにアクセスすれば確実に知れる、という場所を作っておきたいのだ。
あそこに行けば知れるけど、知りたくはないから行かない。という選択なら、それはありだ。
しかし、知りたいのにどこに行ったら知ることができるのかが分からない、この現状はよくない。

だから、「日本国憲法の窓口になる。」ということだと思う。
日本国憲法(前文、1条~103条)を全てを使って創作し、発表するということはそういうことだと思う。




小嶋一郎 演出作品 『日本国憲法』  
(京都芸術センター「舞台芸術賞2009」参加)

テキスト:日本国憲法
演出:小嶋一郎
出演:黒田真史、山本清文、山本称子、佐々木琢

舞台監督:堀田誠(CQ)  照明:根来直義(top.gear)
空間デザイン:小嶋一郎       チラシデザイン:イトウユウヤ
演出補佐:大山晴子     制作:前田佳子
企画・製作:旧劇団スカイフィッシュ


●日程:09年9月25日(金)19:00 
26日(土)14:00 


・日時指定・自由席 ・受付開始=開演60分前 ・開場=開演30分前


●チケット:一般 1000円  学生 500円(要学生証) 



会場 京都芸術センター フリースペース 

2001→2008 (大阪時代)


活動履歴(主な演出歴)


2001年7月『区切られた四角い直球』 作:鈴江俊郎       会場:近畿大学E館(大阪)



2002年2月『ジュリエットプラント』 原作:W・シェイクスピア  会場:近畿大学アート館(大阪)



2003年8月 『HM入門』        原作:H・ミュラー    会場:金沢市民芸術村(石川)



2004年11月 『ひとんちのにおい』  作:小嶋一郎        会場:IST零番館(大阪)



2006年8月 『MESSAGE』       作:松山賢史        会場:芸術創造館(大阪)


2007年2月 『森谷修治』      作:松山賢史       会場:精華小劇場(大阪) 



2007年4月 『春の物忘れは、かなしい』作:工藤千尋      会場:ウイングフィールド(大阪)



2007年7月 『だれか来る』     原作:ヨン・フォッセ   会場:利賀特設野外劇場 

利賀演出家コンクール2007参加



2007年11月 『作家・松山賢史』   作:松山賢史       会場:アトリエS-pace(大阪)




2008年3月 『適切な距離』      作:松山賢史        会場:ウイングフィールド(大阪)



2008年7月 『適切な距離・日記編/スパムメール編』作:松山賢史 会場:etw(京都)



2008年11月 『適切な距離ワークインプログレス2』 作:松山賢史 会場:ウイングフィールド(大阪)



    
       日本演出者協会主催「若手演出家コンクール2008」優秀賞受賞

2012年6月21日木曜日

「振付」の検証

作品をより良くする方法として、いろいろあるとは思うのですが、

「振付」について捉え直してみることにしました。

とりあえず「振付」とは何かという話ですが、

・再現性―何度でもできる。
・交換可能性―出演者が変更してもできる。

この2つの要件を満たさないと、「振付」とは呼べないのではないか、と考えました。

先日作った「No pushing」の場合、再現性については、何度も稽古をしているので、ある幅の中での再現性は確認できている。

交換可能性については、未確認なので、今度、初演とは別の出演者に振付て踊ってもらうことで、交換可能性があるのかないのかを検証するワークショップをやることにしました。


で、そのワークショップですが、
初演とは条件がいろいろ違います。
以下、違いを挙げてみます。
(ちなみに初演の「No pushing」は男・女の出演者で、テキストが事前に存在し、発話もする作品でした。)

1、出演者の性別(初演は男・女、WSは男・男)
2、出演者の持つパーソナリティが違う。
3、テキストの持つ人物造形と物語(初演は理解している。WSはテキストの存在を知らされていない。)
4、発話する言葉が違う。(初演はあるテキストの言葉。WSはおそらく別の種類の言葉)

5、稽古総時間が違う。(WSは3時間のみ)
6、振りの生まれる過程を共有しているかいないか。(WSはすでに存在する振りを手渡して踊ってもらう。)

と、まあ、以上6項目は条件面で違う点である。
なので、ワークショップをやった結果、浮き彫りになるのは、

1、男・男のペアだと行為自体はどう見えるのか?また2人の関係性はどう見えるのか?
2、このWS参加者だから見えてくる「物語」はどんなものか?
3、作品におけるテキストの役割。テキスト無しで(人物造形と物語無しで)、人と振付のみでどこまで面白くなるのか?
4、発話という行為が発話者に及ぼす影響。発話される意味内容が相手に及ぼす影響。観客からどう見えるか?

(5と6に関しては、作品をより良いものにする作業において、現在重要視していないポイントなので、ちょっと置いておく。)

1と2は出演者が変わると、どうなるかという問題。(振付の交換可能性を検証する)
3はテキストの存在、という問題。(逆に言えば、振付の持つ強度を検証できるはず)
4は発話の役割・影響という問題。


うーん。事前に考えられるのはこれくらいでしょうか。
ワークショップが終わったらレポートを書きます。




No pushing

SNACというスペースが主催したスモールステップという企画に参加し、
「No pushing」というタイトルの15分の身体表現作品を発表しました。(まだ中間発表でしたが。)

「No pushing」
演出 小嶋一郎
出演 黒田真史 山田宗一郎

2012年5月27日(日)15:00~  @SNAC

(スモールステップについては下記リンク参照。)
http://snac.in/?p=2184


写真は某所で稽古をしたときの写真です。
子供たちはいい笑顔をしていました。



2012年6月19日火曜日

声の表現

少し前に、三条会の「ひかりごけ」を観に行った。@スズナリ。

「声」の表現というものを考えさせられた。

シンバルのようなドラのような、体を具体的に「振動」させて、声を響かせているような。

「技術」があった。

2012年2月22日水曜日

東京の演劇、不在論。

東京に住み始めてもうすぐ3年になる。

そこで思うのは、「東京の演劇」というものは存在しないということである。

というか演劇状況(環境、作品、集団)を都道府県単位で捕らえるのは、ナンセンスだということに気づいた。

だから、東京都の演劇状況という捉え方では、ほとんどなにも理解できない。

せめて、市町村単位で捉える必要がある。

そして東京では駅単位で捉える必要がある気がする。
杉並区の演劇状況を考えるよりも、高円寺の阿佐ヶ谷の荻窪の下井草の、と考えた方が有効な気がする。

だから、東京の演劇というものは存在しなく、
ただ、下井草の演劇とか阿佐ヶ谷の演劇とかがあるだけなのだと思う。

そして、例えば
大阪の演劇状況といった時に、それは大阪府の演劇のことではなく、大阪市の演劇のことであったりする。
大阪の演劇状況と考えたときに、東大阪とか岸和田とかは想定せれているのか。
だから、大阪市の演劇とか東大阪の演劇とか岸和田の演劇という捉え方をした方が正確なのではないか。

同じく、京都の演劇状況と言ったときに、それは京都府のことではなく京都市のことだったりする。
だから、京都市の演劇とか宇治市の演劇とか福知山の演劇とかで捉えた方がいい。


そして、市区町村単位で演劇状況を捉えた時に重要な要素は、やはり人口である。
100万人都市と50万人都市と20万人都市ではその演劇状況は全然違う。

演劇の中での、フィクションの存在

必要なのは「フィクション」なのではないか?

演劇の特徴として、観客が舞台上のものは「その全てがフィクションである」ということを分かった上で鑑賞している。というものがある。

いや、舞台上というのはフィクションではない、という意見もある。
人間という演劇作品を構成する素材は、どこまで行っても常に現実(ノンフィクション)である、と。

突き詰めて考えると目の前で人間がいることは現実(ノンフィクション)であるが、そこで話される言葉や行動や出来事やその流れは「事前に用意されたもの」であり、作りもの(フィクション)である。

つまり、演劇というのは、「人間という現実(ノンフィクション)を素材として用いて、作りもの(フィクション)を観客に見せる。」という、なんとも不思議な形式なのだと思う。

それは、ねじれている、と言えるかもしれない。


例えば、漫画は紙にインクで書いてある。
紙もインクも現実である。
だが「絵」という記号と「コマ割り」という方法を用いていて、その内容は作りもの(フィクション)である。

アニメは、「キャラクター」という記号と「カット割り」という方法を用いていて、その内容は作りもの(フィクション)である。

映画は・・・

スポーツは・・・


話がだいぶそれてしまったが、観客はフィクションを見たいのではないか。
観客をフィクションを観に劇場に足を運ぶのではないか。
と、最近私は考えている。

作品(作り物、フィクション

素材(人間、現実、ノンフィクション

観客

観客が直接目で捉えているのは、人間(出演者)である。

だが観客は、人間というノンフィクションを通して、演劇作品というフィクションを見ている。


で、フィクションを形作るものは何かと言うと、それは話される言葉や行動や出来事やその流れといった「戯曲に属するもの」ではなく、人間なのだと思う。

ノンフィクションである人間が、フィクションを形作るとはどういうことなのかというと、
そこで出てくるのが「演技」というものである。
「演技」とは、演じる技術のことだが、「演技」無しにノンフィクションである人間はフィクションを形作れない。

演じる技術というのは、
他者が、過去に、書いた言葉を、
自分が、今、発話しているかのように観客に感じさせる能力や、

さらに進んで、出演者がまさに登場人物その人だと観客が錯覚してしまうような能力や、

観客という不特定多数の目の前に立つ・視線にさらされることを「ポジティブに受け入れる」能力、

というものがあったりする。
(ここに挙げた能力(演じる技術=演技)を使わない・目指さない演劇作品も、もちろんたくさんある。)


ということで、演劇というのは、
「人間という現実(ノンフィクション)の素材が、演技(演じる技術)という方法を用いて、作りもの(フィクション)を観客に見せる。」
ものだと私は考えている。




で、観客が持ち帰るのは、フィクションではなくノンフィクションに属するものである。
簡単に言うと、観客は自分の経験や現状に照らし合わせて・引き付けて、何かを受け取る・持ち帰っている。

その何かは、単なるメッセージのときもあれば、感情のときもあれば、人間に対する理解のときもある。

2012年1月4日水曜日

地域の公共劇場と地域の劇団

地域の公共劇場と地域の劇団はどういう関わりができるのか?

ある地域に先にいくつかの劇団が活動していて、後からその地域に公共劇場ができた場合。

地域の劇団というのは劇団員は市民だけど、文化・芸術活動を積極的にやっている市民とそうではない市民は、公共劇場の運営を考えたときに区別して考えた方がいいと私は思う。
(というか分けて考えた方が考えやすいだけなのかもしれないが。)


■公演会場として

その地域の劇団は公共劇場が出来る前から公演していた会場があった訳だから、単に公演会場としての劇場利用というのはあると思うし、あってもいいけど、あるのか?

■稽古場として

これも機能しているところはあるのか?

■各劇団間の「交流(ネットワーク構築)」と「相互刺激(作品内容的にも、劇団活動自体も)」を促す媒介として

これはありだ。ありだがやり方・企画を間違うと機能しない。
だが、公共劇場ができる以前から、その地域の劇団間で交流を持てている地域もあるんだろうなあ。(持てていない地域もある。)

■企画に主体的に関わってもらう。企画を共同で主催する。

■演劇経験者向けのワークショップなどに参加してもらう。

2012年1月2日月曜日

観光資源と県外アピールについて

先日、松山に行ってきました。
念願の四国上陸。

往復飛行機と宿泊がセットになったパックを利用。

松山の観光資源の豊富さに驚いた。
そして密集度。

道後温泉があって、松山城があって、「坊ちゃん」があって、正岡子規があって、今だったら「坂の上の雲」があって。
各所を路面電車が結ぶ。(頑張ったら歩いて周れる位の密集度でもある。)
食事も瀬戸内の魚がおいしいし。


松山空港への行き来はリムジンバスが便利。(普通の各停のバスでも空港行きはあるけど。)
バスで市街地へ。
繁華街とか、ビジネスホテルとか。

道後温泉へは路面電車で。
やっぱり温泉の破壊力は凄い。
風呂の持つ集客力はすさまじいと思うのだが、
温泉地を近くに持つ地域は、絶対温泉込みで県外にアピールした方がいい。
温泉があるかないかで、その土地に「宿泊する」ということへのハードルとか心理的負担みたいなことが大分変わる気がするんだ。
(そういう広報をしているのは、私の知る限り、鳥取の「鳥の劇場」くらいか。)

あと、日本の地域都市はどこも似てるとか聞くけど、全然違うぞ松山は。
JR松山駅のあの外観とか。
愛媛県庁のレトロな建物とか。
なんかレトロだった。街並が。昭和か。

逆を言えば、最新型ではないということか。
再開発とかされてないんだろうなあ、あのJR松山駅前とか。
まあ必要ないから、しないんだろうけど。